​egoism

人間の学術的役立つ「標本」について、疑問を抱いた作品。 標本は果たして学問的動機があれば許され、そうでなければ許されないのでしょうか。

実際に昆虫を採取し、標本を制作した時、 薬品で虫を殺し、虫ピンで体を台に固定する作業はなんだかとても残酷に思えたのです。

しかし、実際には現代社会に生きるほとんどの人間は多くの 野生動物を殺し、そして自分が生きている事の残酷さ、生きるためにどれほどの生物が、あるいは家畜が殺されているのかを自分の目で見る事がありません。 根本的な残虐性や現代の自然破壊の状況を認識することにより自然と人間・人間と生命とのあり方を見つめ直せるのではないでしょうか。

 センチコガネという緑色の綺麗な光沢のある甲虫を白く塗装し、虫ピンで胴体を固定しました。

薬品によってもがき苦しむ虫を瓶越しに観察していると、「死」を目の当たりにすると、じわじわと罪悪感が浸食してきました。 「死」を間近でみたのは初めてではありません。友達や、親戚などが亡くなっている他、飼っていた犬の死も経験した事があります。 飛んでいる蚊を両手でパン!と仕留める事も毎年の様にしている事で、肉や魚も喜んで食べます。

しかし、このじわりとした罪悪感に私は困惑しました。

普段「気持ちが悪い」としか思わない人間と体の作りが全く違う1匹の小さな虫の生命を、私はこの時確かに感じていたのです。 

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